「ヴィオラと出会って50周年」沖田孝司ヴィオラリサイタル2025~We love the EARTH from HIROSHIMA~

 

実は今年2025年は、
誕生日の数字並びが、
揃いも揃った2025年2月25日でもあるのですが、
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」結成30周年、
「マイ・ハート・コンサート」開始30周年の年でもあります。

そして、
今からちょうど50年前の1975年は、
広島東洋カープがセ・リーグを初制覇し、
私はといえば、
「甲子園」を夢見、残念ながら夢破れた「野球」に打ち込んでいた最終学年の高校3年生でした。

その年、
私が作曲した「彼の目」という楽曲が、
第10回ヤマハ「ポピュラーソングコンテスト」にて、
6月の広島県大会、
8月の中国大会を勝ち抜き、
10月12日、「つま恋」での全国大会に進出したのでした。
因みにグランプリは中島みゆきの「時代」。

あの頃は悠長な時代だったのでしょう、
夏休みの8月に、
初めての「進路」についての3者懇談があり、
そこで、
「無知」というのは恐ろしいもので、
それまで「無縁」で、
全くもって「無謀」というほか言葉が見つからない「音楽の道」に進みたいと放言した私がいました。

すったもんだの末の11月、
両親から、
「とにかく1年後に音楽大学に入学できれば、音楽を勉強することを応援をする。
ただし、入学できなければ、長男として家業を継ぐこと」という条件付きの理解・承諾を得、
その後、
従妹の音楽の先生に相談し、
「やめた方が良い」というのが第一声でしたが、
なにがなんでもの「入学」を第一目標に、
「入学」のため、
もしかしたら「奇跡」が起こる可能性が一番高い「ヴィオラ」で受験することになりました。

ヴィオラ弾きはまずヴァイオリンから始まります。

そのヴァイオリンは、
幼少期から、
子供サイズのヴァイオリンでスタートし、
だんだんサイズが大きくなりなり大人用(一般サイズ:胴体が約36センチ)へと変貌していきます。

当時、
音楽大学入試の時点で、
ヴァイオリン受験者はそれ相応にいましたが、
ヴィオラ受験者というのは皆無(?!)に近い状況でした。

そこに一縷の望みをかけることになったのが私です。

世界を探しても人も類もないようですが、
最初から手にした楽器が、
「ヴィオラ」(ヴィオラの胴体のサイズは約38センチ~45センチ。私の現在の楽器は私にとり大きすぎる43センチ)というのが私であり、
1975年11月(17歳10か月)から現在の2025年5月(67歳3か月)まで、
ヴィオラとともに「50周年」が今年なのです。

そんなこんなで、
集大成とはいきませんが、
現在の自分をヴィオラで表現しようと、
けじめの「リサイタル」を、
6月17日(火)広島県民文化センター(広島市中区)、
6月20日(金)文京シビックホール小ホール(東京都文京区)にて開催します。

私の想いもあり、
タイトルは「We love the EARTH from HIROSHIMA」!

お時間許せば是非、
「ヴィオラと出会って50周年」の私を聞きに来てやってください。

お待ちしております。