父、逝く。

新生「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」による、
昨日2月27日広島でのコンサートを終え、
明日3月1日東京でのコンサートのため、羽田空港に到着しました。
先日、
「まさに「盆」と「正月」を「卒業式」と「入学式」が一度に来ています。」と書きましたが、
ひとつ報告していないことがありました。
実は、
今朝の中国新聞朝刊「お悔やみ欄」に掲載予定だったのですが、
別ルートからの情報により、
2月26日(土)朝刊に掲載されてしまったのですが、
コンサートの準備もたけなわの2月24日(木)、父が92歳の生涯を全うして旅立ちました。
私の誕生日である翌2月25日(金)に家族葬を営み、火葬し、送り出したのですが、
私はその日、朝一の新幹線で関西に向かい、弦楽四重奏の練習をし、
3月9日の京都でのコンサート会場である京都府立府民ホール「アルティ」に打ち合わせに行き、
午後11時前に帰宅しましたので参列は叶いませんでした。
2月26日(土)は、広島にて弦楽四重奏の練習。
そして、昨日の本番を迎えました。
親孝行だろうが親不孝だろうが、
私の名前には「孝」の字が入っているのですが、
とにもかくにも、
私が父に伝えられることは「私の生きざま」です。
多くの方々から愛された父でした。
皆様のご厚情に心より感謝します。
「本当にありがとうございました。」
1998年1月1日より中国新聞は、
石田信夫記者(現比治山大学教授)の執筆により、
「男はつらいよ‘98 長男の重荷」の連載を開始しました。
元旦の記念すべき初回に私たち兄弟(私は長男です。)が登場し、タイトルは「逃げた兄」!

お時間許せば、
笑い話のひとつとしてご一読頂ければ幸いです。

このシリーズは1冊の本として出版されていますが、
後日判明しました、何と実名での掲載は私たち兄弟のみだったそうです。
宮島行きフェリーにて。
ウラジオストックへのクルーズにて。
後ろは関門大橋。