先日の高校野球の続きです。
三次高校2年次の春季県大会決勝は、
広島商業に4対3で逆転負け。
その前年、
広島商業(元広島カープの達川氏が正捕手)は「夏の甲子園」で優勝し、
強力メンバーがレギュラーに残っており、まさに勇者の風格でした。
(春季県大会前の「春の選抜甲子園」では、優勝候補にもかかわらず敗退。
ただ、1試合10を超える盗塁新記録を作ったという記憶があります。)
広島商業(元広島カープの達川氏が正捕手)は「夏の甲子園」で優勝し、
強力メンバーがレギュラーに残っており、まさに勇者の風格でした。
(春季県大会前の「春の選抜甲子園」では、優勝候補にもかかわらず敗退。
ただ、1試合10を超える盗塁新記録を作ったという記憶があります。)
しかし、
新聞記事を読み返してみると、
わが三次高校は勝ち越すチャンスが数回ありました。
新聞記事を読み返してみると、
わが三次高校は勝ち越すチャンスが数回ありました。
特に、
3対4で負けていた9回裏、
私の前の9番、そして1番打者が四球を選び、
私も3ボール0ストライクとなり、その後2つのストライクが来てフルカウント。
3対4で負けていた9回裏、
私の前の9番、そして1番打者が四球を選び、
私も3ボール0ストライクとなり、その後2つのストライクが来てフルカウント。
ベンチを見ると「送りバント」のサインが。
足が震えたのを覚えています。
足が震えたのを覚えています。
バントの下手くそな2番沖田君は素晴らしいバントを決め、
二人だけの上級生が占める3番・4番打者へと繋ぎました。
二人だけの上級生が占める3番・4番打者へと繋ぎました。
あれだけ「ツーランスクイズ」の練習をしていたにもかかわらず、
ベンチのサインは「打て」。
ベンチのサインは「打て」。
結果は残念ながら凡退で準優勝。
前日の準決勝では広陵高校に逆転勝ちし、
最終の鈍行列車(当時はJRで2時間の道のり)で三次へ帰り、
その翌日の決勝当日は、
三次発午前8時台の「急行ちどり」(今はありません。)に乗り広島へという強行軍でもありました。
最終の鈍行列車(当時はJRで2時間の道のり)で三次へ帰り、
その翌日の決勝当日は、
三次発午前8時台の「急行ちどり」(今はありません。)に乗り広島へという強行軍でもありました。
準決勝で、
逆転のホームへ滑り込んだ沖田君のユニフォームは、
洗うすべもなく、
翌日の決勝戦にそのまま着用せねばならず、
表彰式で整列した三次ナインの真ん中あたりにいる彼のユニフォームは見事なことこの上なし!
逆転のホームへ滑り込んだ沖田君のユニフォームは、
洗うすべもなく、
翌日の決勝戦にそのまま着用せねばならず、
表彰式で整列した三次ナインの真ん中あたりにいる彼のユニフォームは見事なことこの上なし!
旧広島市民球場の黒土はなかなか曲者でした。
2番センター沖田君は、
1打数0安打、
3フォアボール、
1犠打、
1盗塁という結果を残しました。
1打数0安打、
3フォアボール、
1犠打、
1盗塁という結果を残しました。