「芸備線」が運んでくれた、昭和51年度:広島県高校野球春季県大会「準決勝」・「決勝」戦

「出会い」には「別れ」がつきものです。
そして、また新たな「出会い」が・・・。
わが故郷の「芸備線」。
「別れ」があるとすれば、
もう二度と元には戻れない「別れ」です。
それは1年後の6月に姿を現します。
今を去ること51年前の春、
私は三次高校新2年生になりました。
その4月、
地区予選を勝ち上がった私たち三次高校硬式野球部は、
春季県大会準決勝へと駒を進め、広陵高校と対戦。
実は試合前のノックでグローブの革ひもが切れ、
後輩のグローブを借りなければならない羽目になり、
「準備不足。確認不足。そのことで試合に負けるようなことがあれば悔いしか残らないだろう。」とこっぴどく監督に叱られ、
自分の未熟さを痛感しつつ試合が始まったのを覚えています。
準決勝:隊広陵高校戦前の練習
プレイボール後
緊迫した試合の均衡が破れたのが8回表。
広陵高校に1点先取されたその裏、
私の懸命のヘッドスライディングで逆転し、
ユニホームも口の中も泥だらけになりながら、
意気揚々と最終回のセンターの守備につき、
勝利の瞬間は、
嬉しさより安堵した私でした。
試合終了、整列!
その後、
午後10時発の終礼(最終便)の芸備線三次行きに乗車し帰路につきました。
気動車に引かれた客車は薄暗く、
勝利した高揚感はあるものの、
勝利の余韻に浸りつつ、目を閉じた私でした。
三次到着は午前0時。
そこから車で約30分で自宅へ。
そして、
8時間後の急行「ちどり」に乗り広島へ向かい、
広島商業との決勝戦が待っていたのでした。
広島商業は、
前年の「夏の甲子園」で優勝し、
新チームで出場した「春の選抜甲子園」では、
盗塁の甲子園記録を樹立しつつも、予想に反し敗戦。
そんな常勝軍団との決勝戦でした。
わがチームの構成は、
エースと遊撃手(主将)の3年生二人、
私たち2年生が7名、
そして、
6名の入部したての1年生という全員で15名のチーム。
前日の泥んこユニホームを洗濯する暇もなく、
泥だらけ・汗だらけユニフォームで臨んだ決勝戦は、
4対3と逆転された最終回、
温存されていた相手エースが登場。
私たちは9番からの攻撃。
9番、1番がストレートのフォアボールとなり、
次いで2番の私が3ボール0ストライク。
思いっきりベースに体をかぶせてみましたが、
3ボール2ストライクのフルカウントになり、
ベンチを見るとサインは「送りバント」。
足が震えました。
「バント」がうまいとは言い難い私が、
一塁側に会心の「送りバント」を決め、
1アウト2塁・3塁の絶好の得点チャンス。
2番打者の私に続くのが3年生の3番・4番。
この大会に備え、
あれほど「ツーランスクイズ」の練習を重ねてきていましたが、
監督からのサインは「打て」。
最高の場面でしたが、結果は敗戦。
思い出深い2日間は、
「芸備線」が「運」を運んできてくれたのかもしれません。
それは51年前の出来事。
決勝:広島商業戦後の表彰式と新聞記事。