馬洗川(ばせんがわ)の水を産湯に使い、1958年2月25日、広島県双三郡三良坂町にて誕生しました。

さてはさてさて、
1958年(昭和33年)2月25日、
広島県双三郡三良坂町(現三次市三良坂町)にて生を受けた私は、
馬洗川(ばせんがわ)の水を産湯(すぐ裏が馬洗川で家は井戸水だったので満更間違いではないかと)に使い、
少々病弱の幼少期だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校入学前後から肺浸潤という病気を患っており、
今では太ももへの注射は禁止ですが、
当時は座ったままの太ももに、
毎週2本「ストマイ2CC」を注射しておりました。
とにかく痛かったのを覚えています。

 

 

 

 

 

小学校3年までの運動会は、
本部テントの放送ブースの端っこで応援しておりました。

何とか病も癒え、
スポーツに親しみ、
中学からは野球に勤しんでおりました。

 

 

中学時代、
一応100メートルを12秒5で走ったようです。

 

 

馬洗川は、
私の幼少期とは違い、
それなりの堤防が整備されていたのですが、
昭和47年7月、
中学3年1学期の期末試験終了の翌日、
集中豪雨が三次市を襲い、
我が家も床上浸水し、
1週間早く夏休みに突入したのでした。

「馬洗川、ああ馬洗川、馬洗川」

因みに、
昨年のプロ野球ドラフトの目玉で、
楽天に1位指名され、
シーズン当初より試合に出続けているルーキー「宗山塁内野手」の家は、
私の家から数キロ下流です。

「ヴィオラと出会って50周年」沖田孝司ヴィオラリサイタル2025~We love the EARTH from HIROSHIMA~

 

実は今年2025年は、
誕生日の数字並びが、
揃いも揃った2025年2月25日でもあるのですが、
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」結成30周年、
「マイ・ハート・コンサート」開始30周年の年でもあります。

そして、
今からちょうど50年前の1975年は、
広島東洋カープがセ・リーグを初制覇し、
私はといえば、
「甲子園」を夢見、残念ながら夢破れた「野球」に打ち込んでいた最終学年の高校3年生でした。

その年、
私が作曲した「彼の目」という楽曲が、
第10回ヤマハ「ポピュラーソングコンテスト」にて、
6月の広島県大会、
8月の中国大会を勝ち抜き、
10月12日、「つま恋」での全国大会に進出したのでした。
因みにグランプリは中島みゆきの「時代」。

あの頃は悠長な時代だったのでしょう、
夏休みの8月に、
初めての「進路」についての3者懇談があり、
そこで、
「無知」というのは恐ろしいもので、
それまで「無縁」で、
全くもって「無謀」というほか言葉が見つからない「音楽の道」に進みたいと放言した私がいました。

すったもんだの末の11月、
両親から、
「とにかく1年後に音楽大学に入学できれば、音楽を勉強することを応援をする。
ただし、入学できなければ、長男として家業を継ぐこと」という条件付きの理解・承諾を得、
その後、
従妹の音楽の先生に相談し、
「やめた方が良い」というのが第一声でしたが、
なにがなんでもの「入学」を第一目標に、
「入学」のため、
もしかしたら「奇跡」が起こる可能性が一番高い「ヴィオラ」で受験することになりました。

ヴィオラ弾きはまずヴァイオリンから始まります。

そのヴァイオリンは、
幼少期から、
子供サイズのヴァイオリンでスタートし、
だんだんサイズが大きくなりなり大人用(一般サイズ:胴体が約36センチ)へと変貌していきます。

当時、
音楽大学入試の時点で、
ヴァイオリン受験者はそれ相応にいましたが、
ヴィオラ受験者というのは皆無(?!)に近い状況でした。

そこに一縷の望みをかけることになったのが私です。

世界を探しても人も類もないようですが、
最初から手にした楽器が、
「ヴィオラ」(ヴィオラの胴体のサイズは約38センチ~45センチ。私の現在の楽器は私にとり大きすぎる43センチ)というのが私であり、
1975年11月(17歳10か月)から現在の2025年5月(67歳3か月)まで、
ヴィオラとともに「50周年」が今年なのです。

そんなこんなで、
集大成とはいきませんが、
現在の自分をヴィオラで表現しようと、
けじめの「リサイタル」を、
6月17日(火)広島県民文化センター(広島市中区)、
6月20日(金)文京シビックホール小ホール(東京都文京区)にて開催します。

私の想いもあり、
タイトルは「We love the EARTH from HIROSHIMA」!

お時間許せば是非、
「ヴィオラと出会って50周年」の私を聞きに来てやってください。

お待ちしております。

 

 

5月9日(金)①15時~15時半 ②16時~16時半、無印良品「まちの音楽会 沖田たかしのおすそ分けマイ・ハート演奏会」

毎月第2金曜日、
広島アルパーク(西区商工センター)にある、
無印良品OpenMUJI(カフェ)にて、
ヴィオラとピアノによる、
「まちの音楽会 沖田たかしのおすそ分けマイ・ハート演奏会」を開催しています。
今月は、
5月9日(金)
①15時~15時半
②16時~16時半の2回です。
お時間許せば、
ふらっとお茶など飲みに来てください。
https://www.muji.com/jp/ja/event/event_detail/…

5月4日(日・祝)「愛は原動力」安達春汀刻字展

4月4日に左足外反母趾手術をしてちょうど1か月、
足の指を使わないようにとの指示と、
それ用の履物と、
やはり体にメスを入れると腫れる、時折ずきずき痛むという症状のある今日です。

歳を取ると、
しっかりと骨がくっつくのに2か月はかかるとのこと、
悪戦苦闘の毎日が今しばらく続きます。

そんな中、
大ファンである私と家内は、
「愛は原動力」安達春汀刻字展に伺い、
押しかけお祝い演奏をさせて頂きました。

そして、
「愛」をいっぱい頂きました。

 

*以下は、
4年前の「tomorrow from HIROSHIMA」プロジェクトのCDジャケット、
メッセージパンフレット表紙に書いて頂いたtomorrowへの「愛」です。

 

4月30日(火)卯月も晦日です。私にとっては「いびせい」卯月でした。

名残惜しい4月も晦日となりました。
私が手術して頂いた内容は「骨切り術」というのだそうです。
手術後のレントゲン写真を見るとやはり「いびせい」(怖い、恐ろしい:広島弁)です。
留め具の金属は一生のお友達です。
以下、4月の異称です。
なんとまあまああるものですね!
卯月(うづき)
卯花月(うのはなづき)
植月(うづき/うえつき)
種月(うづき)
田植苗月(たうえなえづき)
苗植月(なえうえづき)
花残月(はなのこりづき/はなのこしずき)
鳥待月(とりまちづき)
木葉採月(このはとりつき)
夏初月(なつはづき)
夏端月(なつはづき)
麦秋(ばくしゅう)
清和月(せいわづき)
乾月(けんげつ)

4月25日(金)松井広島市長表敬訪問と「マイ・ハート・コンサート」in ひろぎんHD本社ビル1Fトゥモロウスクエア

4月25日(金)、
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」が、
3月に行ったヨーロッパツアーの報告と今後の活動について、
松井広島市長を表敬訪問し、
「マイ・ハート・コンサート」推進委員会代表、
そして、
広島市特任大使「ひろしま文化大使話を拝命している沖田から話を聞いて頂きました。

 

 

 

姉妹都市ハノーバーにてのハノーバー室内オーケストラとのコラボコンサート、
ウィーン市中心部にあるペータース教会とウィーン国連事務局でのコンサート、
「原爆ドーム」の生みの親チェコ人ヤン・レツルの生誕の街ナーホトと終焉の地プラハでのコンサートと、
今、考えてみても盛りだくさんの充実した17日間でした。

今回のツアーのテーマは「We love the EARTH from HIROSHIMA」!

同名の楽曲を地元歌手とコラボして、
4都市でのコンサートでお披露目させて頂きました。

その活用も今後の課題です。

「We love the EARTH from HIROSHIMA」をタイトルとして、
広島県内全23市町縦断コンサート、
国内全47都道府県縦断コンサート完結を約束してきました。

大風呂敷にならぬよう、
一歩一歩前へとベストを尽くして進みます。

午後は、
毎月第4金曜日に開催する「マイ・ハート・コンサート」 in ひろぎんHD本社ビル1階トゥモロウスクエア」!

「お待ちかねの皆さまがいる」という冥利に尽きるコンサートでした。

 

4月25日(金)第35回「マイ・ハート・コンサート」in ひろぎんHD本社ビル1Fトゥモロウスクエア ~テーマ「続・春」~ 

第35回「マイ・ハート・コンサート」in ひろぎんHD本社ビル1Fトゥモロウスクエア 
                            ~テーマ「 続・春 」~ 

★日時:2025年4月25日(金)13:30~14:00、14:30~15:00
★会場:ひろぎんHD本社ビル1Fトゥモロウスクエア
★出演:沖田孝司ヴィオラ)沖田千春(ピアノ)
★鑑賞無料
★問合せ:(株)たびまちゲート広島 地域商社事業部 082-554-5805(平日9:30~17:30)

4月21日(月)、初見参、広島県庁前ショップ&カフェ

4月21日(月)、
所用があり広島県庁を訪ねました。

そして、
初広島県庁前シュップ&カフェに初見参。

この辺りには、
広島県庁、
基町クレド、
ゲートパーク、
広島城三の丸広場、
エディオンピースウィング広島広場とショップ&カフェが乱立しています。

上手に棲み分けができることを祈っています。

 

 

 

4月20日(日)雨に煙るおりづるタワー付近

4月20日(日)雨模様の広島です。

考えてみれば、
月に一度のおりづるタワー「マイ・ハート・コンサート」、
これまで雨に当たることはあるほとんどなかったかと。

北側ゲートパークでは、
アーバンスポーツのイベントが開催されており、
雨があがったようで、
使用するステージの水取りが行われていました。

西側の原爆ドーム付近は、
雨に濡れた木々がまた違った味を出していました。
1回目のコンサート前の13時20分頃、
遊覧船が原爆ドーム前を通過します。
また一月後に!

4月20日(日)おりづるタワー「マイ・ハート・コンサート」

明日4月20日(日)①13時半~14時②14時半~15時、
おりづるタワー12階にての「マイ・ハート・コンサート」です。

 

先月3月19日、
「原爆ドーム」設計者ヤン・レツル氏の出生地ナホト市(チェコ)に赴き、
ビルケナホト市長以下の盛大なる歓迎を受け、
和気あいあいの昼食会、
そして、レツル氏の墓参、
最後に、昨年完成した市民コミュティーセンターにてコンサートを開催させて頂きました。

ナホト市からの要望でもある、
広島市、
そして、おりづるタワーと「繋ぐ」という役割が私の使命に加わりました。

今年2025年は、
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」結成30周年、
広島被爆・戦後80年、
45歳で没した「原爆ドーム」設計者ヤン・レツル没後100周年と、
「来たるべき時が来た」と思っています。

明日のおりづるタワーでのコンサートは、
また一味違うような気がしています。

 

ビルケ市長、歓迎の挨拶

 

記帳しました。

 

参加者全員の集合写真

 

ヤン・レツルの墓には、
カタカナで「ヤン レツル」とも刻まれ、
「原爆ドーム」のがれきと写真が収められています。