「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」、
結成30周年記念「ヨーロッパツアー」報告書の3P(全8P)です。
時は2025年3月7日(金)、
ドイツは広島市の姉妹都市ハノーバー市での模様です。
毎月第2金曜日は、
広島市立中央図書館にて「図書館コンサート」(12時15分~13時)、
そして、
場所を移して、
広島市西区商工センターアルパーク西棟にある無印良品OpenMUJI(カフェ)にて、
「まちの音楽会 沖田たかしのおすそ分けマイ・ハート・演奏会」(①15時~15時半②16時~16時半)。
家内(ピアノ)とともに演奏させて頂いています。
「図書館コンサート」は、
テーマに沿って演奏と朗読というマッチングコンサート。
「まちの音楽会」は、
もしかしたら「投げ銭」(応援)コンサートに変貌するかも?!
これまでとは違ったプレッシャーはありますが「挑戦」です。
しかし、
これだけは言えます。
素敵なパートナー・スタッフに恵まれて私は幸せ者です。
そして、
来場者に感謝です。
さてはさてさて、
1958年(昭和33年)2月25日、
広島県双三郡三良坂町(現三次市三良坂町)にて生を受けた私は、
馬洗川(ばせんがわ)の水を産湯(すぐ裏が馬洗川で家は井戸水だったので満更間違いではないかと)に使い、
少々病弱の幼少期だったようです。
小学校入学前後から肺浸潤という病気を患っており、
今では太ももへの注射は禁止ですが、
当時は座ったままの太ももに、
毎週2本「ストマイ2CC」を注射しておりました。
とにかく痛かったのを覚えています。
小学校3年までの運動会は、
本部テントの放送ブースの端っこで応援しておりました。
何とか病も癒え、
スポーツに親しみ、
中学からは野球に勤しんでおりました。
中学時代、
一応100メートルを12秒5で走ったようです。
馬洗川は、
私の幼少期とは違い、
それなりの堤防が整備されていたのですが、
昭和47年7月、
中学3年1学期の期末試験終了の翌日、
集中豪雨が三次市を襲い、
我が家も床上浸水し、
1週間早く夏休みに突入したのでした。
「馬洗川、ああ馬洗川、馬洗川」
因みに、
昨年のプロ野球ドラフトの目玉で、
楽天に1位指名され、
シーズン当初より試合に出続けているルーキー「宗山塁内野手」の家は、
私の家から数キロ下流です。
実は今年2025年は、
誕生日の数字並びが、
揃いも揃った2025年2月25日でもあるのですが、
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」結成30周年、
「マイ・ハート・コンサート」開始30周年の年でもあります。
そして、
今からちょうど50年前の1975年は、
広島東洋カープがセ・リーグを初制覇し、
私はといえば、
「甲子園」を夢見、残念ながら夢破れた「野球」に打ち込んでいた最終学年の高校3年生でした。
その年、
私が作曲した「彼の目」という楽曲が、
第10回ヤマハ「ポピュラーソングコンテスト」にて、
6月の広島県大会、
8月の中国大会を勝ち抜き、
10月12日、「つま恋」での全国大会に進出したのでした。
因みにグランプリは中島みゆきの「時代」。
あの頃は悠長な時代だったのでしょう、
夏休みの8月に、
初めての「進路」についての3者懇談があり、
そこで、
「無知」というのは恐ろしいもので、
それまで「無縁」で、
全くもって「無謀」というほか言葉が見つからない「音楽の道」に進みたいと放言した私がいました。
すったもんだの末の11月、
両親から、
「とにかく1年後に音楽大学に入学できれば、音楽を勉強することを応援をする。
ただし、入学できなければ、長男として家業を継ぐこと」という条件付きの理解・承諾を得、
その後、
従妹の音楽の先生に相談し、
「やめた方が良い」というのが第一声でしたが、
なにがなんでもの「入学」を第一目標に、
「入学」のため、
もしかしたら「奇跡」が起こる可能性が一番高い「ヴィオラ」で受験することになりました。
ヴィオラ弾きはまずヴァイオリンから始まります。
そのヴァイオリンは、
幼少期から、
子供サイズのヴァイオリンでスタートし、
だんだんサイズが大きくなりなり大人用(一般サイズ:胴体が約36センチ)へと変貌していきます。
当時、
音楽大学入試の時点で、
ヴァイオリン受験者はそれ相応にいましたが、
ヴィオラ受験者というのは皆無(?!)に近い状況でした。
そこに一縷の望みをかけることになったのが私です。
世界を探しても人も類もないようですが、
最初から手にした楽器が、
「ヴィオラ」(ヴィオラの胴体のサイズは約38センチ~45センチ。私の現在の楽器は私にとり大きすぎる43センチ)というのが私であり、
1975年11月(17歳10か月)から現在の2025年5月(67歳3か月)まで、
ヴィオラとともに「50周年」が今年なのです。
そんなこんなで、
集大成とはいきませんが、
現在の自分をヴィオラで表現しようと、
けじめの「リサイタル」を、
6月17日(火)広島県民文化センター(広島市中区)、
6月20日(金)文京シビックホール小ホール(東京都文京区)にて開催します。
私の想いもあり、
タイトルは「We love the EARTH from HIROSHIMA」!
お時間許せば是非、
「ヴィオラと出会って50周年」の私を聞きに来てやってください。
お待ちしております。
4月4日に左足外反母趾手術をしてちょうど1か月、
足の指を使わないようにとの指示と、
それ用の履物と、
やはり体にメスを入れると腫れる、時折ずきずき痛むという症状のある今日です。
歳を取ると、
しっかりと骨がくっつくのに2か月はかかるとのこと、
悪戦苦闘の毎日が今しばらく続きます。
そんな中、
大ファンである私と家内は、
「愛は原動力」安達春汀刻字展に伺い、
押しかけお祝い演奏をさせて頂きました。
そして、
「愛」をいっぱい頂きました。
*以下は、
4年前の「tomorrow from HIROSHIMA」プロジェクトのCDジャケット、
メッセージパンフレット表紙に書いて頂いたtomorrowへの「愛」です。
4月25日(金)、
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」が、
3月に行ったヨーロッパツアーの報告と今後の活動について、
松井広島市長を表敬訪問し、
「マイ・ハート・コンサート」推進委員会代表、
そして、
広島市特任大使「ひろしま文化大使話を拝命している沖田から話を聞いて頂きました。
姉妹都市ハノーバーにてのハノーバー室内オーケストラとのコラボコンサート、
ウィーン市中心部にあるペータース教会とウィーン国連事務局でのコンサート、
「原爆ドーム」の生みの親チェコ人ヤン・レツルの生誕の街ナーホトと終焉の地プラハでのコンサートと、
今、考えてみても盛りだくさんの充実した17日間でした。
今回のツアーのテーマは「We love the EARTH from HIROSHIMA」!
同名の楽曲を地元歌手とコラボして、
4都市でのコンサートでお披露目させて頂きました。
その活用も今後の課題です。
「We love the EARTH from HIROSHIMA」をタイトルとして、
広島県内全23市町縦断コンサート、
国内全47都道府県縦断コンサート完結を約束してきました。
大風呂敷にならぬよう、
一歩一歩前へとベストを尽くして進みます。
午後は、
毎月第4金曜日に開催する「マイ・ハート・コンサート」 in ひろぎんHD本社ビル1階トゥモロウスクエア」!
「お待ちかねの皆さまがいる」という冥利に尽きるコンサートでした。