投稿者: 沖田 孝司
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」、 結成30周年記念「ヨーロッパツアー」3P(全8P)
マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま、 2025年3月5日~21日、 ヨーロッパツアー概要
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」ヨーロッパツアー報告書 その①
毎月第2金曜日(今月は5月9日)は「図書館コンサート」と「まちの音楽会」
毎月第2金曜日は、
広島市立中央図書館にて「図書館コンサート」(12時15分~13時)、
そして、
場所を移して、
広島市西区商工センターアルパーク西棟にある無印良品OpenMUJI(カフェ)にて、
「まちの音楽会 沖田たかしのおすそ分けマイ・ハート・演奏会」(①15時~15時半②16時~16時半)。
家内(ピアノ)とともに演奏させて頂いています。
「図書館コンサート」は、
テーマに沿って演奏と朗読というマッチングコンサート。
「まちの音楽会」は、
もしかしたら「投げ銭」(応援)コンサートに変貌するかも?!
これまでとは違ったプレッシャーはありますが「挑戦」です。
しかし、
これだけは言えます。
素敵なパートナー・スタッフに恵まれて私は幸せ者です。
そして、
来場者に感謝です。
馬洗川(ばせんがわ)の水を産湯に使い、1958年2月25日、広島県双三郡三良坂町にて誕生しました。
さてはさてさて、
1958年(昭和33年)2月25日、
広島県双三郡三良坂町(現三次市三良坂町)にて生を受けた私は、
馬洗川(ばせんがわ)の水を産湯(すぐ裏が馬洗川で家は井戸水だったので満更間違いではないかと)に使い、
少々病弱の幼少期だったようです。
小学校入学前後から肺浸潤という病気を患っており、
今では太ももへの注射は禁止ですが、
当時は座ったままの太ももに、
毎週2本「ストマイ2CC」を注射しておりました。
とにかく痛かったのを覚えています。
小学校3年までの運動会は、
本部テントの放送ブースの端っこで応援しておりました。
何とか病も癒え、
スポーツに親しみ、
中学からは野球に勤しんでおりました。
中学時代、
一応100メートルを12秒5で走ったようです。
馬洗川は、
私の幼少期とは違い、
それなりの堤防が整備されていたのですが、
昭和47年7月、
中学3年1学期の期末試験終了の翌日、
集中豪雨が三次市を襲い、
我が家も床上浸水し、
1週間早く夏休みに突入したのでした。
「馬洗川、ああ馬洗川、馬洗川」
因みに、
昨年のプロ野球ドラフトの目玉で、
楽天に1位指名され、
シーズン当初より試合に出続けているルーキー「宗山塁内野手」の家は、
私の家から数キロ下流です。
「ヴィオラと出会って50周年」沖田孝司ヴィオラリサイタル2025~We love the EARTH from HIROSHIMA~
実は今年2025年は、
誕生日の数字並びが、
揃いも揃った2025年2月25日でもあるのですが、
「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」結成30周年、
「マイ・ハート・コンサート」開始30周年の年でもあります。
そして、
今からちょうど50年前の1975年は、
広島東洋カープがセ・リーグを初制覇し、
私はといえば、
「甲子園」を夢見、残念ながら夢破れた「野球」に打ち込んでいた最終学年の高校3年生でした。
その年、
私が作曲した「彼の目」という楽曲が、
第10回ヤマハ「ポピュラーソングコンテスト」にて、
6月の広島県大会、
8月の中国大会を勝ち抜き、
10月12日、「つま恋」での全国大会に進出したのでした。
因みにグランプリは中島みゆきの「時代」。
あの頃は悠長な時代だったのでしょう、
夏休みの8月に、
初めての「進路」についての3者懇談があり、
そこで、
「無知」というのは恐ろしいもので、
それまで「無縁」で、
全くもって「無謀」というほか言葉が見つからない「音楽の道」に進みたいと放言した私がいました。
すったもんだの末の11月、
両親から、
「とにかく1年後に音楽大学に入学できれば、音楽を勉強することを応援をする。
ただし、入学できなければ、長男として家業を継ぐこと」という条件付きの理解・承諾を得、
その後、
従妹の音楽の先生に相談し、
「やめた方が良い」というのが第一声でしたが、
なにがなんでもの「入学」を第一目標に、
「入学」のため、
もしかしたら「奇跡」が起こる可能性が一番高い「ヴィオラ」で受験することになりました。
ヴィオラ弾きはまずヴァイオリンから始まります。
そのヴァイオリンは、
幼少期から、
子供サイズのヴァイオリンでスタートし、
だんだんサイズが大きくなりなり大人用(一般サイズ:胴体が約36センチ)へと変貌していきます。
当時、
音楽大学入試の時点で、
ヴァイオリン受験者はそれ相応にいましたが、
ヴィオラ受験者というのは皆無(?!)に近い状況でした。
そこに一縷の望みをかけることになったのが私です。
世界を探しても人も類もないようですが、
最初から手にした楽器が、
「ヴィオラ」(ヴィオラの胴体のサイズは約38センチ~45センチ。私の現在の楽器は私にとり大きすぎる43センチ)というのが私であり、
1975年11月(17歳10か月)から現在の2025年5月(67歳3か月)まで、
ヴィオラとともに「50周年」が今年なのです。
そんなこんなで、
集大成とはいきませんが、
現在の自分をヴィオラで表現しようと、
けじめの「リサイタル」を、
6月17日(火)広島県民文化センター(広島市中区)、
6月20日(金)文京シビックホール小ホール(東京都文京区)にて開催します。
私の想いもあり、
タイトルは「We love the EARTH from HIROSHIMA」!
お時間許せば是非、
「ヴィオラと出会って50周年」の私を聞きに来てやってください。
お待ちしております。
5月9日(金)①15時~15時半 ②16時~16時半、無印良品「まちの音楽会 沖田たかしのおすそ分けマイ・ハート演奏会」
5月4日(日・祝)「愛は原動力」安達春汀刻字展
4月4日に左足外反母趾手術をしてちょうど1か月、
足の指を使わないようにとの指示と、
それ用の履物と、
やはり体にメスを入れると腫れる、時折ずきずき痛むという症状のある今日です。
歳を取ると、
しっかりと骨がくっつくのに2か月はかかるとのこと、
悪戦苦闘の毎日が今しばらく続きます。
そんな中、
大ファンである私と家内は、
「愛は原動力」安達春汀刻字展に伺い、
押しかけお祝い演奏をさせて頂きました。
そして、
「愛」をいっぱい頂きました。
*以下は、
4年前の「tomorrow from HIROSHIMA」プロジェクトのCDジャケット、
メッセージパンフレット表紙に書いて頂いたtomorrowへの「愛」です。