4月11日(金)、
手術から1週間が経過しました。
静養とともに、
社会復帰のための日々が始まっています。
以前、
両手橈骨骨折のための手術では、
両手患部付近を丁寧に毛剃りされましたが、
現在では逆に、
皮膚にダメージを与えるとのことで、剃らないのだそうです。
邪魔になる場合はカットするとのこと。
進化しています。
抜糸まであと1週間お世話になります。
2025年2月25日に誕生日を迎え、
数字がなんだか妙に揃っているだけで、
「今年は私の年」とはしゃいでいる沖田です。
着々と今後の構想を練り、
そんなこんなで、
入院中でもあり、
気分はのんびりですが、
次の目標に向け準備を重ねています。
考えてみれば、
「最初の」、
「最後の」という言葉があります。
口には出しませんが、
そんなことだらけかと・・・。
では、
「最初で」「最後の」映画出演の写真を。新藤兼人監督の「三文役者」(2000年)から。
新藤組の名バイプレーヤー殿山泰司氏(父親が新藤監督同様広島県尾道市出身)の自伝的映画で、
松竹大船撮影所で撮影された「最後の」作品です。
竹中直人氏主演、荻野目慶子さんも出演されています。
12年前の2013年4月18日(木)、
神戸市にて開催された第56回日本手外科学会学術集会「晩餐会」にて、
「縁」が巡り巡って、
私たち「マイ・ハート弦楽四重奏団ひろしま」がアトラクション演奏をさせて頂きました。
その時のプログラムです。
左上が、
2007年6月11日に交通事故に遭い、
救急車で搬送され、
若い整形外科医に両手橈骨骨折の手術をして頂いた際のレントゲン写真。
左下が、
その2週間後、
音楽家、しかもヴィオラ奏者ということもあり、
お世話になっていた生田先生に連絡が取れ、
プレートで固定する再手術をして頂いた際のレントゲン写真。
そして、
右の表紙にあたるレントゲン写真が、
プレートを取り去った後のもの(固定していたねじの穴がくっきりはっきりと)。
もっと丁寧に、
もっと患者の環境を考えて術式を選択せねば、
そして、
プレートを使う手術のメリットがプログラム内側に書かれておりました。
再手術をして頂いた際には、
すでに接合部分の骨がずれていて、
再手術をしていなければ、
今のヴィオラ奏者としての私はこの世にいなかったことでしょう。
2度の交通事故で、
2度とも3か月入院していた私が復帰した時、
「前より良くなったんじゃないの」とカルテットのメンバーが2度とも言いました。
今回もそれにあやかりたいと・・・。
4月5日(土)、
手術から2日目となり、
麻酔のご利益が少しずつ薄れてきています。
月曜日からリハビリが始まるとのこと。
「来週かは、気をしゃんと持たんといけんのお。」と思いを回らしていた折、
嬉しい親友がサプライズで現れました。
現在は三重県桑名市に暮らしているのですが、
私の同郷の親友で、
三次市では、
三良坂町に生まれ、
三良坂保育所、
三良坂小、
三良坂中、
三次高校の同級生清水文雄氏です。
三良坂の母上のもとに帰るのに合わせ、
facebookでも知っていたので、訪ねてきてくれました。
彼は明治大学に進学したので、
楽天の注目ルーキー宗山塁選手と、
三良坂生まれ、
三良坂保育所、
三良坂小、
三良坂中、
明治大学と履歴が重なる大先輩でもあります。
いろんな話に花が咲きました!
「友も故郷もええもんです。」
三次市三良坂町には、
私の実家=沖田鉄工株式会社が建築した「大迫牛乳店」。
清水文雄氏の実家の目と鼻の先にあります。
2025年4月4日(金)、広島大学大病院にて、左足外反母趾の手術を行いました。
執刀医は「生田先生」。
実は、
写真に手術痕が残っているように、
両手首橈骨骨折の手術を、
十数年前、
広島大学病院からJR鉄道病院長に転身されていた「生田先生」にして頂きました。
同じ広島大学医学部整形外科という同じ「釜の飯」を食されたおふたり。
方や足の整形(特に足首)専門、
方や手の微小整形専門のお二人の「生田先生」にお世話になりました。
血縁関係、親族関係はないとのことですが、
なんか不思議がなことが重なっている今日この頃です。
子ども(若者)は回復が早く、
骨も引っつやすいとのことですが、
老体となると…。
そうそう、
当時広島大学病院にいらした生田先生からの依頼で、
現在の広島大学病院「クリスマスコンサート」に20年近く出演させて頂いています。
これも「縁」です。
手術前の麻酔後の私と両足(手術しない方の足には「NO」というシールを貼る)。
手術後の手術台の上で撮ったレントゲン。
そして、
現在、点滴中の私(両手橈骨骨折手術痕が確認できます。)
養生します。